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Article: つまみ細工の生地と糊 ── 端切れから専用の絹へ

『摘み細工指南』28〜29頁の見開き。右頁は布を四つ折りにして小断布片を切り出す図、左頁は「第六章 糊延べ法の説明」で糊板に姫糊を延べる四つの図(明治42年・国立国会図書館蔵)
つまみ細工

つまみ細工の生地と糊 ── 端切れから専用の絹へ

つまみ細工の生地は、驚くほど薄いものを使います。初めて触った方はたいてい「こんなに薄いのですか」とおっしゃいます。

なぜ薄いのか。折って、重ねて、また折るからです。厚い布では折り目が決まらず、重ねたときに膨らんでしまいます。では、その薄い専用の生地はいつ生まれたのか。明治42年(1909年)の教本『摘み細工指南』に、その経緯が書かれています。

はじめは、着物の端切れだった

第二編の第一章は、こんな書き出しです。

つまみ細工の材料は、昔はどの家にもある着物の端切れを使い、ただの楽しみとして作るだけのものだった。今のように、あちこちの店に並べてあるような細工はできなかったから、これを商品として売りさばく店もなかった。作るものも地の厚い布で作っていて、せいぜい守り巾着か香箱くらいの、ごく平凡な細工ばかりだったから、とくべつの布地が要るということも起こらずにすんだ。

つまり、専用の生地が無かったのは、専用の生地を必要とするような細工をしていなかったからです。厚い端切れで、簡単なものを作っていた。

そこから先が変わります。しだいに需要の道が開けてくると同時に、専用の布地を別に織り立てて、色合いも濃淡いく通りにも染め分け、思いどおりの色ものを売りさばくようになった。今では刺繍用の糸と同じで、どんな色でもないということはないというところまで進み、材料店で売られている、と。

明治42年の時点で、つまみ細工専用の薄地が、色数をそろえて店頭に並んでいた。ここははっきり書かれています。

高い布を使うな、と書いてある

同じ章に、はっとする一節があります。

今でもときどき昔からのしきたりを守って、緞子だとか、繻子・綸子だとか、たいへん高価な布で細工をすることを教える人がいる。これらはまことに無益もはなはだしいもので、家庭の楽しみとしては不経済の極みであるばかりでなく、その布地がどれほど良くとも、細工のうえの見栄えという点になると、少しも値打ちのないものになる。

高い布を使っても、つまみ細工としては良くならない。専門家がそう言い切っています。

理由は書かれていませんが、実際に手を動かしていると分かります。緞子や繻子は地が厚く、織りの表情が強い。折ったときに角が決まらず、小さな花びらにすると生地の柄が邪魔をします。生地の格と、細工の出来は別だということです。

そして著者はこう続けます。もともとこの細工は、家庭でいろいろな端切れが無駄に捨てられるのを利用して工夫したものだ。だから、たとえ材料として買い求めた布片であっても、決して粗末にならないように扱わなければならない、と。

羽二重と綸子は、どこに使われていたのか

ここで疑問が出ます。いまのつまみ細工では、羽二重は代表的な生地です。ところが明治42年の本は、綸子を「無益」の側に並べている。

これは、5年後の『女子技芸摘み細工全書』を読んで解けました。

この本の材料の章では、綸子は多く額面の地張りまたは巾着の地張りに使う、羽二重もやはり綸子と同様、と書かれています。つまり、つまむ布ではなく、台紙に張る布として挙げられている。

用途が違っただけでした。明治42年の本が批判したのは、つまみそのものに高級布を使うことです。大正3年の本の綸子・羽二重は、台の上張りです。二冊は矛盾していません。

なお、この本がつまむ布として挙げているのは絹と縮緬です。縮緬については「絹と同じく、ごく薄地に織り出してある」と、やはり薄さが条件になっています。

糊は、はがせるものでなければならない

材料の章には、糊についても記述があります。姫糊が手に入らない土地では押糊を使ってもさしつかえないが、多少細工がしにくい。材料店で売っている精製した姫糊粉を、材料を求めるときに一緒に買い求めるのが便利だろう、と。

姫糊は米から作る糊です。ここが大事なところで、米糊は水に溶けます。

だから、水に浸せば後から解体できます。糊板に貼ったつまみを剥がせるのも、仕立て直しがきくのも、この性質によります。化学接着剤で留めてしまうと、この可逆性が失われます。絹の風合いも変わります。

おはりばこがいまもでんぷんの糊を使っているのは、伝統だからというだけの理由ではありません。直せるからです。晴れの日の髪飾りは、何十年か経ってから娘さんやお孫さんが使うことがあります。そのとき手を入れられるかどうかは、糊で決まります。

極天糸という、平らな糸

もうひとつ、材料の章に「極天糸」という項目があります。仕上げのときに用い、木の枝や幹を作るとき、あるいは花簪を取り付けるときに使うもの、とされています。

この糸は今も現存します。撚りのかかっていない釜糸を四十八本合わせたもので、日本刺繍の糸に近いものです。撚っていないので糸が平らに寝て、つやが出ます。

この性質は、本の記述と符合します。実習編に「つやよく糸を針金に巻きつけることが難しい」とあるのは、無撚りで平らな糸だからです。桜の枝の章で「鶸色と茶色を二本合わせて巻くと縞目が現れる」とあるのも、無撚りゆえに二本が平らに並ぶからです。

百年前の本の、一見わけの分からない記述が、実物を知っているとするりと読める。訳していて何度もそういう瞬間がありました。

いま、私たちが織っているもの

つまみ細工のための薄い絹は、明治の需要が生んだものでした。そして今も、この細工のために織られています。

おはりばこでは、つまみ細工に向く薄さと発色を求めて、生地そのものから作り手と組んでいます。絹地と道具はこちらにまとめています。つまみ細工の材料と道具

生地の扱いから覚えたい方は、教室でお待ちしています。京都の教室についてオンライン講座について

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出典

山田興松『摘み細工指南』博文館、明治42年(1909年)12月。国立国会図書館デジタルコレクション PID 848808(パブリックドメイン)。

吉岡房次郎『女子技芸摘み細工全書』大倉書店、大正3年(1914年)2月。国立国会図書館デジタルコレクション PID 1185204。

現代語訳は京都 おはりばこによります。極天糸の性状については、おはりばこ代表が実物にあたって確認したものです。

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