
つまみ細工の道具はどう生まれたか
つまみ細工に必要な道具は、そう多くありません。ピンセット、糊板、鋏、物差し。これだけあれば始められます。
道具が少ないのは、この手仕事のよいところです。けれど、その少ない道具がいまの形になるまでには、それなりの道のりがありました。明治42年(1909年)の教本『摘み細工指南』には、第二編第三章「用器と其今昔」という章があって、道具の来歴がそのまま書かれています。
はじめは、指先だけだった
同じ本の第十一編に、昔のやり方についての記述があります。
昔の細工はすべて指先だけを使い、折るにしても付けるにしても、みな指だけで細工をした。あるいは糊板なども使わないで、ただ左手の甲の上に糊をのせておき、折った切れを一、二枚ずつそこに載せて細工をしたものであるようだ、と。
手の甲を糊板がわりにする。これは、大正3年(1914年)の『女子技芸摘み細工全書』が伝える起源の話とも重なります。そちらでも、創始者は手の甲に糊を延ばし、箸の先を細く削って布を折った、とされています。二冊は起源の説明が食い違うのですが、いちばん古い道具が「指と箸と手の甲」だったという点では一致しています。
次の段階として出てくるのが、焼鏝です。折りたたんだつまみの折り下に糊を付け、ひとつずつ焼鏝を当てて折り下が開かないようにしておく。当時の布は厚かったので、こうしないと開いてしまったのだろう、と著者は推測しています。
竹を削って、ピンセットを自作した
やがて売り物として数多く作る必要が生じます。そこで糊板に並べる必要が起こり、ピンセットの代わりになる道具の必要も生まれました。
昔の職人は、竹を薄く削って皮のほうを残し、長さを決めて、その両端を今のピンセットのように尖らせた。それを中央から弓なりに曲げて両端を合わせ、曲がり目の中央に木片をはさんで開け閉めを自在にした。そうしてピンセットと同じように使っていた、と書かれています。
著者はこう続けます。こう述べただけでは何の苦もなく出来るようだが、それを自由に、さしつかえなく使えるまでにこしらえるのは容易な仕事ではないし、時間を空費することも決して少なくない、と。
鍛冶屋に頼むと、高くついた
金属のピンセットが無かったわけではありません。
以前とて鍛冶屋がこれを作らなかったわけでもない。ただ、たくさんの注文もなく、わずかに二本か三本のものを注文されて作ることだから、その値段も非常に高くなり、また使うほうでもさして便利でもないので、やむをえず細工のしにくい道具で我慢して使っていた。
読んでいていちばん腑に落ちたのが、この箇所でした。道具が高いのは、腕のいい鍛冶屋がいないからではなく、注文が二本三本しか来ないからです。数が出ないから単価が上がり、単価が上がるから広まらない。
その状況が変わったのは、需要が増えたからでした。製造者のほうでも数多くを手がけ、そればかりか分業として、それぞれ専門の者が現れたので、自然とその用途を十分に呑み込んで作り上げるようになった。そうして今日のように、まったく欠点のない器具が安く使えるようになった、と著者は書いています。
道具の歴史は、技の歴史であると同時に、市場の歴史でもある。そう読める章です。
「腰の弱いもの」を選べ
同じ本の第四章には、道具の選び方が具体的に書かれています。
つまみ細工用のピンセットは、造花用のものと形はさほど変わらないが、開け閉めのばねが柔らかく、先端も全体に細い形のものがよい。ばねが強いものは指先に早く疲れが出るから、なるべくばねの弱いものを選んで求めるのが必要だ。
これは、いまお客様にご説明していることとまったく同じです。ばねの硬いピンセットは、最初のうちは「しっかりしていてよい」と感じるのですが、何十枚も摘んでいると指が保ちません。百年以上前の教本に同じことが書いてあるのを見つけたときは、思わず声が出ました。
糊板についても記述があります。家にあるもので構わないが、別にこしらえるなら檜で幅三寸・長さ八寸ほどとし、使うときは十分に水に浸して使うこと。およそ9センチ×24センチです。原本は理由を書いていませんが、板を濡らしてから使うのは今も同じで、乾いた板だと糊の水気を吸われてしまいます。
物差しについては、曲尺で五寸のものが手ごろだとしたうえで、この細工は寸法をすべて曲尺で決めるのが決まりだ、と明記しています。
五年後には、道具が増えていた
面白いのは、大正3年の『女子技芸摘み細工全書』を読むと、道具がさらに増えていることです。
とくに目を引くのが鏝です。巻鏝、瓣鏝、筋鏝、裏鏝と四種類も出てきて、返しつまみの裏面、柳の葉、菖蒲の花に当てて使われます。明治42年の本には、この四種の鏝は出てきません。
鏝を使って花びらに丸みや筋をつけるのは、西洋から伝わった造花の技法です。それがつまみ細工の教本に入ってきている。もっとも、これが本当に造花からの流入なのかは、まだ確かめられていません。今後の宿題です。
道具が少ないことは、いまも強みです
こうして見てくると、つまみ細工の道具は、少しずつ増えながらも、驚くほど身軽なままです。
大正8年(1919年)に出た内職の手引書には、つまみ細工の用具はピンセットと鋏と糊さえあれば足りる、という趣旨のことが書かれています。始めるための投資が要らない。これが、この手仕事が広まった理由のひとつでした。
そしてそれは、今も変わりません。おはりばこでは、教室で使う道具と絹地をひととおりご用意しています。つまみ細工の材料と道具
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国立国会図書館の一次資料から、つまみ細工の歴史を読み解いています。
出典
山田興松『摘み細工指南』博文館、明治42年(1909年)12月。国立国会図書館デジタルコレクション PID 848808(パブリックドメイン)。
吉岡房次郎『女子技芸摘み細工全書』大倉書店、大正3年(1914年)2月。国立国会図書館デジタルコレクション PID 1185204。
高橋桂二 編『婦人家庭内職』精禾堂、大正8年(1919年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 961553。
現代語訳は京都 おはりばこによります。

