
「剪綵」という失われた言葉。明治九年、京都女紅場が万博に出していたもの。
明治九年(1876年)、アメリカ建国百年を記念してフィラデルフィアで万国博覧会が開かれました。その日本出品目録を読んでいて、京都から二つの名前が並んでいるのに気づきました。
女紅場と、花簪の職人

目録には、こうあります。
第百八十二號 出品主 京都 女紅場 剪綵及押繪細工 第百八十三號 出品主 同 剪綵雜品 第百八十四號 出品主 京都 福田吉兵衛 剪裁細工 第百八十五號 剪裁細工 裝飾物
四つの號が続けて並んでいます。前の二つが京都女紅場、後の二つが福田吉兵衛です。
福田吉兵衛については、この連載の別の回で書きました。京都下京の花簪・造花の職人で、その三年前の明治六年にはウィーン万博へ花簪二十本と花櫛十枚を出しています。翌明治十年の第一回内国勧業博覧会では、羽二重と縮緬で作った花簪を出品し、褒状を受けました。
「剪綵」とは何か
もうひとつの名前、京都女紅場の品目に「剪綵」とあります。
綵は、あやぎぬ。いろどりのある絹のことです。それを剪る。布を剪って作る細工、という意味になります。
いまこの言葉を使う人はいません。辞書に載ってはいても、工芸の現場で耳にすることはありません。失われた言葉です。
福田吉兵衛のほうは「剪裁細工」。江戸期の呼び名「裁細工(きれざいく)」に、剪の字を冠した形です。
同じ頁に、布を剪って作る細工が、二つの違う名前で並んでいる。
京都女紅場という場所
女紅場(にょこうば)は、明治のはじめに京都府が設けた、女子の技芸教育の場です。「女紅」は女性の手仕事を指す古い言葉で、裁縫や織り、刺繍などを教えました。
その女紅場が、国を代表して万国博覧会に品を出している。しかも品目は「剪綵及押繪細工」──布を剪る細工と、押絵です。
明治九年の京都では、布の花細工が、職人の仕事としてだけでなく、女子の技芸教育としても行われていた。 目録の並びは、そう読める形になっています。
ただし、断定はできません
ここは慎重に書いておきます。
女紅場の「剪綵」と、福田吉兵衛の「剪裁細工」が、同じ技法を指しているのかどうかは、この目録だけでは分かりません。
品目名が違う以上、当時は別のものとして扱われていた可能性があります。剪綵が押絵と並べて書かれていることからすると、布を貼り重ねる技法のほうに近いのかもしれません。
同じ頁に並んでいるという事実と、両方が「布を剪る」系の言葉であるという事実。いま言えるのは、そこまでです。
言葉が消えるとき
この連載で私たちが繰り返し行き当たっているのは、言葉のことです。
江戸の「裁細工(きれざいく)」は、明治二十四年ごろに「摘細工」へ入れ替わりました。明治二十八年には「つまみざいく」という読みが印刷物に現れます。そして「剪綵」は、どこにも引き継がれずに消えました。
技法が消えたわけではありません。布を剪って花を作る仕事は、いまも続いています。消えたのは名前のほうです。
だから、古い記録を今の言葉で探しても届かない。私たちが「つまみ細工」で検索していたあいだ、江戸と明治初期の記録はずっと視界の外にありました。
なぜ、私たちがこれを調べるのか
つまみ細工は、絹の小さな布を一枚ずつ折り、寄せ集めて花にする手仕事です。京都 おはりばこは、この技で髪飾りを作り、教室でお伝えしています。
作り方は受け継がれてきました。けれど、それがどこから来たのかは、意外なほど曖昧なまま語られてきたと感じています。だからこそ、伝聞ではなく原典にあたる。分からないことは分からないと書く。裏が取れたら、自分が前に書いたことでも直す。
手を動かしながらこの歴史に触れてみたい方は、教室でお待ちしています。京都の教室について/オンライン講座について
ご自宅で試してみたい方には、絹地や道具もご用意しています。つまみ細工の材料と道具
このシリーズの他の記事
国立国会図書館の一次資料から、つまみ細工の歴史を読み解いています。
「つまみ細工」は明治の名前だった。江戸の呼び名は「裁細工(きれざいく)」
出典
『米国博覧会報告書』第二巻 日本出品目録、米国博覧会事務局、明治九年(1876年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801835、コマ60。第百八十二號・第百八十三號が京都女紅場、第百八十四號・第百八十五號が京都 福田吉兵衛。
『明治十年内国勧業博覧会出品目録』四、内国勧業博覧会事務局、明治十年(1877年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801851、コマ86。福田吉兵衛の花簪・鉢植花臺付。
現代語訳と要約は京都 おはりばこによります。原本の判読が確定していない箇所は、その旨を本文に記しました。

