
「京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり」── 江戸の本が書いていた、京都の花かんざし。
弘化四年(1847年)、江戸で一冊の本が出ました。『歴世女装考(れきせいじょそうこう)』といいます。著者は岩瀬百樹、戯作者としての名を山東京山。古来の女性の装いを、古今の書物を引きながら考証した本です。
その巻之二に、花かんざしを論じた一項があります。当時この手仕事は「裁細工(きれざいく)」と呼ばれていました。そこに、こんな一文が置かれています。
京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり

京都製のものはとりわけ細工が優れているが、値段は安く、質素で品がよい。
誰が、どこで書いたのか
まず押さえておきたいのは、この評価が江戸で書かれたということです。
著者の山東京山は江戸の人です。兄は山東京伝、江戸戯作の中心にいた人物でした。京山自身も江戸で本を書き、江戸の読者に向けて出しています。この本の見返しにも「江戸 岩瀬百樹 編撰」と入っています。
その江戸の人が、花かんざしについて「京製なるはすぐれて美工」と書いた。身内褒めではありません。他所の産地が、京都の仕事を認めた記述です。
しかもこの本は、思いつきの随筆ではありません。引用した文献は三百余、引用箇所は五百を超える考証書です。ひとつひとつの記述に典拠を当てながら書き進めた本の中で、京都製が名指しで評価されている。
「高いから良い」とは書いていない

この一文で私たちがいちばん打たれたのは、後半です。
價は廉く樸にして雅なり。
値段は安く、質素で、品がよい。
工芸の評価というと、どうしても「手が込んでいる」「材料が上等」「だから高い」という方向に流れがちです。けれどこの本は、そう書いていません。細工は優れている、しかし値は張らない。飾り立てず、それでいて品がある。
「樸(ぼく)」は、手を加えすぎない、飾らない、という意味の字です。それが「雅」と並んでいる。質素であることが、そのまま品のよさとして評価されています。
技術の高さと、慎ましさ。この二つを両立させたものが京都の花かんざしだと、江戸の人は見ていたわけです。
同じ項に、大坂の証言も並んでいる
この記述は、後の時代に編まれた『古事類苑』という大部の類書にも収録されています。器用部の「花簪」の項です。そこでは、いくつかの証言が並べて引かれています。
『浪花の風』という書は、大坂の様子をこう書いています。
女子供も、銀かんざしを用るは稀にして、多くは絹、又は紙抔にて、美しく作りし花簪など、下直の品を用るなり、これ中より以下の風俗なり
大坂では女性も子どもも、銀のかんざしを使うのは稀で、多くは絹や紙で美しく作った花簪など、値の安い品を使っている。これは中流以下の風俗である、と。
「下直(げじき)」は値段が安いという意味です。ここでも安さが記録されています。
つまり花かんざしという品は、そもそも高価な貴金属の簪に対する、手の届く品でした。その中で、京都のものがとりわけ細工が優れていた。『歴世女装考』の一文は、そういう位置づけで読むべきものだと考えています。
起源についても、同じ項が書いている
同じ一節は、この手仕事がどこから来たのかにも触れています。
此物今より四五十年前、某の御館に仕へたる女中偶然つくりはじめけるに、徐々職人の作るやうになりしと、そのみたちにつかへたる老婦がいへり
この品は今から四五十年前、さるお屋敷に仕えていた女中が偶然に作りはじめ、しだいに職人が作るようになったと、そのお屋敷に仕えていた老婦人が話していた。
弘化四年から四五十年前を逆算すると、寛政から享和のころ、1797年から1807年あたりになります。
ただし、これは伝聞です。京山自身が「老婦人がそう話していた」と書いており、又聞きであることを隠していません。私たちも、これを確定した事実としては扱いません。
それでも、ひとつ言えることがあります。この記述では、始めたのはお屋敷の女中であって、職人ではありません。 素人の手すさびから始まり、後から職人の仕事になった。順番がそうなっています。
いま私たちが教室でお伝えしているのも、同じ手つきです。特別な設備は要りません。絹の切れ端と、ピンセットと、糊板があればできる。二百年前に誰かが偶然に始められたのも、たぶんそういう手軽さゆえでした。
百八十年前の評価を、どう受け取るか
京都 おはりばこは、京都でつまみ細工の髪飾りを作っています。この一文を見つけたとき、正直に言えば、少し身が引き締まりました。
「京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり」
これは称号ではなく、註文だと受け取っています。細工は行き届いていること。値は張らせないこと。飾り立てないこと。それでいて品を失わないこと。百八十年前に江戸の人が京都の仕事に見たものを、いま同じ土地で作る側が引き受けられているか。
答えを出すのは、私たちではなく、手に取ってくださる方だと思っています。
一次資料にあたるということ
この一文は、探しに行って見つけたものではありませんでした。江戸時代の呼び名が「裁細工」だと分かって、その語で検索し直したときに、はじめて出てきたものです。
「つまみ細工」という現在の語で探していたあいだは、何年かけても届かなかった。言葉がひとつ違うだけで、資料は隠れてしまいます。
だからこそ、伝聞ではなく原典にあたる。分からないことは分からないと書く。裏が取れたら、自分が前に書いたことでも直す。その姿勢で、これからも読み解いていきます。
手を動かしながらこの歴史に触れてみたい方は、教室でお待ちしています。京都の教室について/オンライン講座について
ご自宅で試してみたい方には、絹地や道具もご用意しています。つまみ細工の材料と道具
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国立国会図書館の一次資料から、つまみ細工の歴史を読み解いています。
「つまみ細工」は明治の名前だった。江戸の呼び名は「裁細工(きれざいく)」
出典
岩瀬百樹(山東京山)『歴世女装考』四巻、弘化四年(1847年)刊。国立国会図書館デジタルコレクション PID 2554341(安政二年=1855年版、巻之二目録はコマ37、本文はコマ65)。別版 PID 1879499(夏の巻、コマ31)。
『古事類苑』器用部三、神宮司庁、大正三年(1914年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 897878、コマ52。『歴世女装考』二および『浪花の風』からの引用を同一項に収録。
『日本社会事彙』上巻、経済雑誌社、明治四十一年(1908年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 898060、コマ448。同じく『歴世女装考』を引用。
現代語訳と要約は京都 おはりばこによります。原本の判読が確定していない箇所は、その旨を本文に記しました。

