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カート

カートが空です

明治十年内国勧業博覧会 出品目録。福田吉兵衛の花簪と造花

羽二重と縮緬。明治十年の職人が使っていた生地は、いまと同じでした。

明治9年フィラデルフィア万博 日本出品目録の頁

「剪綵」という失われた言葉。明治九年、京都女紅場が万博に出していたもの。

Main text of Rekisei Josoko volume two on kirezaiku flower hairpins

"Kyoto-made Is Especially Fine, Yet Cheap, Plain, and Elegant": What an 1847 Book Said About Kyoto Flower Hairpins

Table of contents of Rekisei Josoko volume two, listing kirezaiku no hana-kanzashi

"Tsumami-Zaiku" Is a Meiji-Era Name. In the Edo Period It Was Called Kirezaiku.

『衣服と流行』摘細工につまみざいくのルビが振られた頁

「つまみ細工」の漢字はなぜ揺れるのか。摘・撮・抓、三十年ぶんの記録。

『古事類苑』器用部三 花簪の項。江戸の証言が並ぶ

花簪はどこから来たか。江戸の本は「吉原の禿の真似」と書いていた。

『歴世女装考』巻之二の目録。廿四に裁細工の花かんざしとある

「京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり」── 江戸の本が書いていた、京都の花かんざし。

『歴世女装考』巻之二の目録。廿四に裁細工の花かんざしとある

「つまみ細工」は明治の名前だった。江戸の呼び名は「裁細工(きれざいく)」。

In 1873, Kyoto Hana-Kanzashi Crossed to Vienna: 150 Years of Tsumami-Zaiku Abroad

『東京勧業博覧会審査報告』89頁「装身具及化粧用品輸出表」。明治35年から39年までの輸出先別金額を並べた表で、明治39年は清国32万5006円、韓国7万5647円、北米合衆国1万488円、合計49万4041円(明治41年・国立国会図書館蔵)

1873年、京都の花簪はウィーンへ渡っていた。つまみ細工と海外の、百五十年の記録。

『摘み細工指南』246頁「摘細工に従事せる女子の収益」。仕込んだ女性が独立して弟子も養い、平均一ヶ月三十円ほどの収入があると記す本文(明治42年・国立国会図書館蔵)

仕事としてのつまみ細工 ── 明治の内職と職人の記録

『摘み細工指南』28〜29頁の見開き。右頁は布を四つ折りにして小断布片を切り出す図、左頁は「第六章 糊延べ法の説明」で糊板に姫糊を延べる四つの図(明治42年・国立国会図書館蔵)

つまみ細工の生地と糊 ── 端切れから専用の絹へ

『摘み細工指南』53頁「第四編 実習上の説明 第一章 用器の持方」。ピンセットを持つ右手を描いた図(明治42年・国立国会図書館蔵)

つまみ細工の道具はどう生まれたか

『摘み細工指南』36頁「第九章 摘みの各部名称と切り方図解」。角つまみ(現在いう剣つまみ)を三方向から描き、各部に一から七の番号を振った図(明治42年・国立国会図書館蔵)

「剣つまみ」という呼び名はいつ生まれたのか

『摘み細工指南』251頁「摘み細工の発明と折紙細工」の本文。欄外見出しは「発明者詳かならず」で、発明者は詳かに知ることが出来ないが古くから高貴の家庭に行われ初めたものだ、と記す(明治42年・国立国会図書館蔵)

つまみ細工の起源はどこまで遡れるのか。幕末の風俗記が書いていた「花簪」の正体。