
「つまみ細工」は明治の名前だった。江戸の呼び名は「裁細工(きれざいく)」。
つまみ細工の歴史を調べるとき、私たちは長いあいだ、ひとつの壁にぶつかっていました。江戸時代の文献を「つまみ細工」という語で検索しても、ほとんど何も出てこないのです。
幕末の風俗記『守貞謾稿』の全巻用語索引を引いても、「つまみ」「摘み」という項目はありません。あるのは「簪」「花簪」だけです。
答えは単純でした。江戸時代、この手仕事は「つまみ細工」とは呼ばれていなかったのです。
弘化四年の本が、目録に立てていた
『歴世女装考(れきせいじょそうこう)』という本があります。弘化四年(1847年)刊。著者は岩瀬百樹、戯作者としての名を山東京山といいます。古来の女性の装い、とりわけ結髪と髪飾りを、古今の書物を引きながら考証した本です。引用した文献は三百余、引用箇所は五百を超えます。
その巻之二の目録に、こうあります。
廿三 歩搖簪 廿四 裁細工(きれざいく)の花かんざし 廿五 釵み耳掻を作り添し始り

「裁細工」と書いて「きれざいく」。裁は、布の切れ端の「きれ」です。
歩搖簪の次、耳掻付きの簪の前。髪飾りの一項目として、きちんと立項されています。
本文は何を書いているか
同じ巻の本文には、こうあります。
裁細工の花かんざし〈まげゆはひ・まへざし〉 裁あるひは紙細工の花かんざし、今もつはら用ふ、京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり、此物今より四五十年前、某の御館に仕へたる女中偶然つくりはじめけるに、徐々職人の作るやうになりしと、そのみたちにつかへたる老婦がいへり
現代語にすると、こうなります。
布あるいは紙で作る花かんざしは、いまもっぱら使われている。京都製のものはとりわけ細工が優れているが、値段は安く、質素で品がよい。この品は今から四五十年前、さるお屋敷に仕えていた女中が偶然に作りはじめ、しだいに職人が作るようになったと、そのお屋敷に仕えていた老婦人が話していた。
読みどころが三つあります。
ひとつ。「裁あるひは紙細工の」とあります。布と紙が並んでいる。当時は紙で作る花かんざしもあったということです。
ふたつ。「今もつはら用ふ」。弘化四年の時点で、これは過去のものではなく、現役の流行品でした。
みっつ。起源についての一節です。「今より四五十年前」を弘化四年から逆算すると、寛政から享和のころ、西暦でいえば1797年から1807年あたりになります。ただしこれは伝聞です。京山自身も「老婦人がそう話していた」と、又聞きであることを隠していません。
同じ語が、明治の記録にも生きていた

「裁細工」は、江戸で終わった言葉ではありませんでした。
明治十年(1877年)、第一回内国勧業博覧会。その審査評語に、こうあります。
褒狀 裁細工額面 東京濱町一丁目 大澤南谷
評語は「蝦蟆群居其形各異」。蛙が群れていて、その形がそれぞれ違う、と。布で蛙を作って額装したものだったようです。
明治九年(1876年)のフィラデルフィア万国博覧会の日本出品目録にも、「剪裁細工」という表記で出品が記録されています。
名前が入れ替わった年
では、いつ「つまみ細工」になったのか。
国立国会図書館の全文検索で、表記のゆれを十八通り試しました。「裁細工」「きれざいく」「切細工」「裂細工」「摘細工」「摘み細工」「撮細工」「撮み細工」「抓み細工」といった具合です。件数が多いものは、途中で打ち切られないよう最後まで取得しました。
結果は、はっきりしていました。
明治十年(1877年)の第一回内国勧業博覧会では「裁細工」。明治二十四年(1891年)の第三回内国勧業博覧会報告書では「摘細工」。
同じ国の博覧会の、同じ系列の公式報告書です。そのあいだの十四年で、語が入れ替わっています。
そして「つまみざいく」という読みが文献に現れる最初は、明治二十八年(1895年)でした。『衣服と流行』という本に、こうあります。
中等以上の娘子の花簪は、お目出たき摘細工(つまみざいく)なれども、中等以下は日清戰爭にちなみあるものを多く飾りぬ
「摘細工」に「つまみざいく」とルビが振られています。これが、いま私たちが辿れるかぎりで最も古い「つまみざいく」です。
ついでに言えば、この一文は当時の世相もそのまま写しています。中等以上の娘はめでたい摘細工の花簪を、それ以下は日清戦争にちなんだ意匠のものを挿していた。髪飾りは時代を映します。
「つまみ」は明治の言葉である

整理します。
江戸時代、この手仕事は「裁細工(きれざいく)」と呼ばれていました。布の切れ端で作るから、きれざいく。
明治二十四年ごろに「摘細工」という表記が現れ、明治二十八年には「つまみざいく」という読みが定着しはじめます。
つまり「つまみ」という読み方は、江戸から続いてきたものではなく、明治になって生まれた呼び名です。
これは、ただの豆知識ではないと考えています。呼び名が変わるとき、たいていその手仕事の作られ方や売られ方も動いています。「摘細工」が現れた明治二十四年の報告書の同じ頁には、輸出の道が大きく広がった、という趣旨の記述もありました。名前が変わった時期と、売り先が広がった時期は重なっています。
一点、注意していること

「裁細工」あるいは「きれざいく」という語そのものは、実はもっと古い文献にも出てきます。天明九年(1789年)の『通気粋語伝』、そして江戸後期の随筆『我衣鈔』です。
ただし、こちらは文脈が違いました。『通気粋語伝』の「きれざいく」は吉原の灯籠の飾り物、『我衣鈔』の「裁細工」は籠細工や瀬戸物細工と並ぶ見世物の細工物です。どちらも大型の見世物であって、髪に挿す花かんざしではありません。
同じ語ですが、指しているものが違う。ですから、これらを「つまみ細工の最古の記録」として使うことはしません。
花かんざしとしての「裁細工」の、確実な最古は『歴世女装考』(1847年)です。 いまのところ、そう申し上げるのが正確です。
「調べ方」がひとつ変わりました
この一語が分かったことで、調べ方そのものが変わりました。
これまで私たちは「つまみ細工」「摘み細工」で検索していました。それでは江戸の記録には届きません。語が違うからです。
同じことは、他の言葉にも起きているはずです。技法の名前、道具の名前、材料の名前。いま使っている言葉で過去を探しても、見つからないものがある。原典にあたるというのは、まず言葉を疑うことから始まるのだと、あらためて思い知りました。
なぜ、私たちがこれを調べるのか
つまみ細工は、絹の小さな布を一枚ずつ折り、寄せ集めて花にする手仕事です。京都 おはりばこは、この技で髪飾りを作り、教室でお伝えしています。
作り方は受け継がれてきました。けれど、それがどこから来たのかは、意外なほど曖昧なまま語られてきたと感じています。だからこそ、伝聞ではなく原典にあたる。分からないことは分からないと書く。裏が取れたら、自分が前に書いたことでも直す。
手を動かしながらこの歴史に触れてみたい方は、教室でお待ちしています。京都の教室について/オンライン講座について
ご自宅で試してみたい方には、絹地や道具もご用意しています。つまみ細工の材料と道具
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国立国会図書館の一次資料から、つまみ細工の歴史を読み解いています。
出典
岩瀬百樹(山東京山)『歴世女装考』四巻、弘化四年(1847年)刊。国立国会図書館デジタルコレクション PID 2554341(安政二年=1855年版、巻之二目録はコマ37、本文はコマ65)。別版 PID 1879499(夏の巻、コマ31)。
『古事類苑』器用部三、神宮司庁、大正三年(1914年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 897878、コマ52。『歴世女装考』二からの引用として同文を収録。
『日本社会事彙』上巻、経済雑誌社、明治四十一年(1908年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 898060、コマ448。同じく『歴世女装考』を引用。
『明治十年内国勧業博覧会審査評語』二、内国勧業博覧会事務局、明治十年(1877年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801857、コマ38。
『米国博覧会報告書』第二巻 日本出品目録、米国博覧会事務局、明治九年(1876年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801835、コマ60。
『第三回内国勧業博覧会報告書』大阪府部、大阪府内務部、明治二十四年(1891年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801910、コマ42。
『衣服と流行』博文館、明治二十八年(1895年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 848563、コマ29。
『通気粋語伝』上編、天明九年(1789年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 8929923、コマ26。『我衣鈔』十二巻、曳尾庵、写本。同 PID 11607889、コマ86。いずれも見世物の細工物の文脈。
現代語訳と要約は京都 おはりばこによります。原本の判読が確定していない箇所は、その旨を本文に記しました。
