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記事: 羽二重と縮緬。明治十年の職人が使っていた生地は、いまと同じでした。

明治十年内国勧業博覧会 出品目録。福田吉兵衛の花簪と造花
つまみ細工

羽二重と縮緬。明治十年の職人が使っていた生地は、いまと同じでした。

古い記録を読んでいて、思わず手が止まることがあります。明治十年(1877年)、第一回内国勧業博覧会の出品目録がそうでした。

品名の横に、材料まで書いてあるのです。

明治十年の出品目録

明治十年内国勧業博覧会 出品目録。福田吉兵衛の花簪と造花
明治十年『内国勧業博覧会出品目録』。京都下京の福田吉兵衛が「花簪(縮緬羽二重、花車/羽二重、牡丹)」を出品している。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801851 コマ86

京都下京の花簪職人、福田吉兵衛の出品はこう記録されています。

花簪(二)松杉薄板、椿花 (三)縮緬羽二重、花車 (四)羽二重、牡丹 鉢植花臺付(五)羽二重、薔薇、牡丹 造花(七)羽二重、夏菊

縮緬羽二重、羽二重。 いま私たちが使っているものと、同じ名前です。

同じ頁には、北村喜兵衛が羽二重で作った菊、高木源兵衞の造花も並んでいます。京都の職人たちが、そろって羽二重を使っていました。

ひとつだけ毛色の違うものがあります。(二)の「松杉薄板、椿花」。杉の薄板で作った椿です。国の審査官はこの人の仕事を「製作艶麗愛す可し。杉片を以て山茶花を作り着色せざる者、亦新様」と評しました。杉の薄板で山茶花を作り、あえて色を付けなかったところが新しい、と。

絹だけではなかったということです。

江戸は縮緬だった

もう少し遡ると、生地の名前が変わります。

幕末の風俗記『守貞謾稿』は、花簪をこう定義していました。

花簪の類は竹串の如きに縮緬製の造花を付る也

縮緬です。羽二重は出てきません。

弘化四年(1847年)の『歴世女装考』は、当時「裁細工(きれざいく)」と呼ばれたこの手仕事について、こう書いています。

裁あるひは紙細工の花かんざし、今もつはら用ふ

布か、紙か。生地の種類までは書いていませんが、紙製が並んで挙がっているのが目を引きます。

大坂の様子を記した『浪花の風』も同じです。

多くは絹、又は紙抔にて、美しく作りし花簪など、下直の品を用るなり

絹、または紙。値の安い品として。

江戸から明治へ、縮緬から羽二重へ

並べると、こう見えます。

江戸期。縮緬、あるいは紙。守貞は縮緬と書き、歴世女装考と浪花の風は紙も併記している。

明治十年。京都の職人の出品目録は、羽二重が主で、縮緬羽二重が続く。紙は出てこない。

もちろん、博覧会の出品は職人が力を入れた品ですから、日常の安価な品まで同じだったとは限りません。それでも、明治の職人が羽二重を選んでいたことは記録に残っています。

羽二重は、平織りの絹です。表面が滑らかで、光をよく返します。縮緬は撚りをかけた糸で織るので、細かな凹凸(しぼ)が出ます。折ったときの表情が違い、光の受け方が違う。

どちらが上ということではなく、作るものによって選ぶ。それは百五十年前も同じだったはずです。

紙は、どこへ行ったのか

気になっているのが紙です。

江戸期の記録では、絹と紙が並んで出てきます。ところが明治十年の出品目録には、紙の花簪が見当たりません。

消えたのか、記録に残らないほど安価な品になったのか、それとも造花のほうへ分かれていったのか。まだ分かっていません。

明治から大正の教本を訳す作業を続けていますが、そちらでも紙の花簪は主役になっていません。この連載を続けるうちに、どこかで答えが出るかもしれません。

名前が変わらなかったもの

この連載では、言葉が入れ替わる話ばかり書いてきました。

江戸の「裁細工(きれざいく)」は明治に「摘細工」となり、「つまみざいく」と読まれるようになりました。京都女紅場が万博に出した「剪綵」という言葉は、そのまま消えました。

そのなかで、羽二重と縮緬という生地の名前だけは、百五十年変わっていません。

技法の呼び名は移り変わったのに、材料の名前は残った。当たり前のようですが、記録を並べてみると少し不思議に思えます。

いま教室で「羽二重を使います」とお伝えするとき、明治十年に同じ言葉で出品目録に書かれていたのだと思うと、手つきが少し変わります。

なぜ、私たちがこれを調べるのか

つまみ細工は、絹の小さな布を一枚ずつ折り、寄せ集めて花にする手仕事です。京都 おはりばこは、この技で髪飾りを作り、教室でお伝えしています。

作り方は受け継がれてきました。けれど、それがどこから来たのかは、意外なほど曖昧なまま語られてきたと感じています。だからこそ、伝聞ではなく原典にあたる。分からないことは分からないと書く。裏が取れたら、自分が前に書いたことでも直す。

手を動かしながらこの歴史に触れてみたい方は、教室でお待ちしています。京都の教室についてオンライン講座について

ご自宅で試してみたい方には、絹地や道具もご用意しています。つまみ細工の材料と道具

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出典

『明治十年内国勧業博覧会出品目録』四、内国勧業博覧会事務局、明治十年(1877年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801851、コマ86。福田吉兵衛・北村喜兵衛・高木源兵衞の出品と材料。

『明治十年内国勧業博覧会審査評語』、内国勧業博覧会事務局、明治十年(1877年)。国立国会図書館デジタルコレクション PID 801856、コマ199。

喜田川守貞『類聚近世風俗志(原名 守貞謾稿)』国学院大学出版部、明治41年(1908年)刊。稿は嘉永6年(1853年)ごろ。国立国会図書館デジタルコレクション PID 1053410、コマ176。

岩瀬百樹(山東京山)『歴世女装考』四巻、弘化四年(1847年)刊。国立国会図書館デジタルコレクション PID 2554341(安政二年版、巻之二本文はコマ65)。『浪花の風』は『古事類苑』器用部三(PID 897878、コマ52)所収。

現代語訳と要約は京都 おはりばこによります。原本の判読が確定していない箇所は、その旨を本文に記しました。

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