
なぜつまみ細工は広まらなかったのか|1909年の教本が名指しした原因
美しく、用途も広い。それなのに、なぜつまみ細工は長らく広まらなかったのか――前回の記事では、明治42年(1909年)の教本『摘み細工指南』から「つまみ細工は日本固有の手芸である」という一節をご紹介しました。今回は同じ本の、すぐ後に続く一節を読みます。そこには「広まらなかった理由」が、当時の専門家自身の言葉で名指しされていました。
史料について
山田興松(やまだ おきまつ)著『摘み細工指南(つまみざいくしなん)』博文館、明治42年(1909)12月刊。「家庭百科全書」第24編、全278頁の独習書です。国立国会図書館デジタルコレクションで、PID 848808(DOI: 10.11501/848808)として全頁が公開されており、著者の没年(1941年)から保護期間が満了、パブリックドメイン(PDM)です。書誌の詳細は前回の記事もあわせてご覧ください。
「専門家の弊」――本文にある一節
本文2〜3頁(コマ14)、「つまみ細工は日本固有の手藝なり」という見出しのすぐ後に、著者は続けてこう書いています。欄外の見出しは「専門家の弊」です。
で、何故に日本固有で、加之〔しかも〕出来上りが美しく又用途も広いものが斯くまでに人の注目を受けなかったと云ふに、皆專業者の弊として、各自にその工夫をしたる細工の要處は秘して充分これを傳へなかったのが第一の原因で、又一つは昔の細工の仕方が余りに遅鈍で有ったのも、又今日の如くに応用の範囲が多方面でなかった為に、折角の細工も一部の専業者のみの学ぶ徒弟を造り向ける〔ような〕教ゆる者のみで居た為であったとも思はれます。

現代の言葉に置き換えると、こうなります。「なぜ日本固有で、しかも仕上がりが美しく用途も広いこの手芸が、これほどまでに世の中に知られなかったのか。それは、専業者(職人)が皆、自分で工夫した技の要所を隠し、十分に伝えなかったことが第一の原因である。また昔のやり方が遅く不器用であったこと、今のように応用の幅が広くなかったことも一因だが、それも結局は、一部の専業者だけが自分の弟子を育てるための教え方しかしてこなかったためだと思われる」――著者はそう書いています。
広まらなかった理由の第一位に置かれているのは、道具でも需要でもなく、職人が技の要所を秘密にしたことです。
秘匿は、道具の発達すら止めていた
この問題意識は、道具の章(16頁前後、コマ21)でもう一度出てきます。著者はピンセット以前に使われていた、竹を弓なりに曲げた自作の道具について説明したあと、こう続けます。
斯く述べたる丈にては何の苦もなく出来る様でありますけれども、其の物に就いてそれを自由に差支へなく使ふまでに拵へるのは容易なる業ではありませぬのみならず、時間を空費する事も亦決して少くはありません。従って此様なる困難をして各自思ひ〳〵の道具を工夫致すのでありますから、実に心の狭い様ではありますが、互に其工夫を隠し合って用ひたものであって、其要處は局外者の窺ひ知る事が出来なかった為に、その進歩も鈍って居った事と考へます。其れである故に、如何に器用巧者の人でも肝心の要處を秘して其の道具も使ひ方が不充分であるから、従ってその順序なども正しからざる為に緻密の細工は出来なかったものであります。
要約すると――道具を工夫するのは各自の苦労だったが、その工夫を互いに隠し合っていた。その結果、部外者には要所が分からず、道具そのものの進歩も鈍った。どれほど器用な職人でも、肝心の要所を秘密にしていたために道具の使い方が中途半端になり、順序も正しく伝わらず、結局「緻密な細工」ができなかった――という指摘です。
技を隠すことの弊害は、個々の職人の腕前だけにとどまらず、道具そのものの発達を止めるところまで及んでいた、と著者は書いています。
この本自体が、秘伝公開の宣言だった
ここまでで著者は、つまみ細工が広まらなかった原因を「専業者が技を秘したこと」と名指ししました。そのうえで、この本自体がどういう本として書かれたか――はしがきに、こうあります。
只習得者が参考書として持つに止まるもの〔ばかり〕なるが故に、ここに初歩者の獨習用に一書を編述して、用語名称に利用して書き綴り、初学の指南として実際の上に於ける技芸の順序と諸般の応用法を、入門の上に用意を示し、且つ初学者の為にその易きより難きに進むの順〔序を立てた〕
従来は「習得済みの人が参考書として持つだけ」の本しかなかった。だからここに、初心者が独りで学べるように一冊を編み、用語を整理し、実際の技の順序と応用法を、易しいものから難しいものへと段階を追って示した――という趣旨です。
師匠に弟子入りしなくても、この一冊で技の順序を最初から学べる。それが「独習書」という体裁の意味です。専業者が要所を秘してきたと自ら書いた著者が、その同じ本で、要所を含めた技の順序を初心者向けに公開している。この二つは、同じ本の中で向き合っています。
著者は当時、造花技術校の校主でした。つまり自身も「専業者」の側に立つ人物です。その専門家が、同業者の慣習を弊害として名指しし、独習書という形で技術を開く側に回った――これが、この史料が記録している事実です。
史料が語ること、語らないこと
この史料が示しているのは、「1909年、造花とつまみ細工を修めた専門家が、つまみ細工が広まらなかった第一の原因を『専業者が技の要所を秘したこと』と名指しし、同じ本を初心者向けの独習書として書いた」という事実です。この秘匿の慣習がいつ始まり、どの程度の範囲で行われていたか、また同時代の他の手芸や地域でも同様だったかについては、この史料は述べていません。私たちも、史料にないことは書きません。史料が語っていることだけを、そのままお伝えします。
おはりばこについて
おはりばこは京都・西陣で、正絹とでんぷん糊を用いたつまみ細工のかんざし・和装小物を作り続けています。技法についての記事は、こちらもご覧ください。

