
つまみ細工は日本固有の手芸なのか|1909年の教本が書いていること
「つまみ細工は日本発祥の手芸ですか」――海外のお客様から、よくいただく質問です。ネットで検索すると諸説出てきますが、今日は通説ではなく、明治42年(1909年)に出版された一冊の教本から、この問いに答えます。
史料について
山田興松(やまだ おきまつ)著『摘み細工指南(つまみざいくしなん)』博文館、明治42年(1909)12月刊。「家庭百科全書」第24編として出版された、全278頁の独習書です。
国立国会図書館デジタルコレクションで、PID 848808(DOI: 10.11501/848808)として全頁が公開されています。著者の没年(1941年)から保護期間が満了しており、国立国会図書館もパブリックドメイン(PDM)と明示しています。
著者の山田興松は、当時「造花技術校」の校主でした。造花とつまみ細工の両方を専門として修めた人物が、この二つを比較しながら書いている――という点が、この史料を読むうえで重要です。
本文にある一節
本文2頁(コマ14)の欄外見出しには、こう記されています。
摘み細工は日本固有の手藝なり

そのすぐ後に続く本文は、次の通りです(原文旧字体のまま引用します)。
〔手芸には〕造花・編物・刺繍其他様々のものも有りますが、其中でも真に、彼の刺繍にしても造花にしても亦編物にしても、其の元は総て外国から伝はりたるものであります。但し其中に於て造花は我国に古くから特有せられたるものであるが、然しそれも極めて幼稚なる為方で、只花の形ちを切り抜いて貼りつけたる位のものであって、とても今の様な巧みのものは決して只今の様ではありませんでした。
現代の言葉に置き換えると、こういう内容です。刺繍・編物・造花はいずれも、元をたどれば外国から伝わった手芸である。ただし造花だけは、日本に古くからあったものではあるが、それも花の形を切り抜いて貼りつける程度の、ごく素朴な技法にとどまっていた――と著者は書いています。
この一節は、刺繍・編物・造花という他の手芸の来歴を整理したうえで、見出しの「摘み細工は日本固有の手藝なり」という主張を裏づける文脈に置かれています。つまみ細工そのものの起源地や成立年代を直接述べた記述ではありませんが、著者が「日本固有」と明言していることは、本文に確かに記されている事実です。
誰が書いたか、という点
この記述の重みは、書き手の立場にあります。山田興松は造花技術校の校主として、造花の技法を熟知していました。同時につまみ細工も修め、両方を比較したうえで「造花は日本に古くからあったが幼稚な技法だった」「つまみ細工は日本固有である」と、書き分けています。ひとつの手芸を持ち上げるために他方を軽視するのではなく、専門家として両者の来歴を整理して書いている、という点は史料を読むうえで留意しておきたいところです。
1909年当時のつまみ細工の位置づけ
同じ本文の1頁には、当時の状況を伝える記述もあります。
此の摘み細工の技藝が近時盛んに流行ばれ始めて、各技藝學校并に高等女學校等の技藝科に造花と共に加へられ、又賣品としては種々の意匠を施し之を各方面に應用して店頭に陳列さるゝを見受ける様になりましたるは、吾等專門者の身には非常に喜ばしいのであります。
1909年の時点で、つまみ細工は学校の技芸科の授業科目となり、また店頭で売られる商品にもなり始めたばかりだった、と著者は記しています。今からおよそ115年前、まだ「広まりはじめたところ」の手芸だった、ということが分かります。
史料が語ること、語らないこと
この史料が示しているのは、「1909年に、造花とつまみ細工の両方を修めた専門家が、つまみ細工を日本固有の手芸と明記していた」という事実です。何時代に生まれたか、誰が始めたか、といった起源そのものについては、この一節は述べていません。私たちも、史料にない年代や由来を語ることは避けます。史料が語っていることだけを、そのままお伝えします。
おはりばこについて
おはりばこは京都・西陣で、正絹とでんぷん糊を用いたつまみ細工のかんざし・和装小物を作り続けています。技法についての記事は、こちらもご覧ください。
